合戦:応仁の乱 (おうにんのらん) |
名前は知ってるけど詳しい事は分かんない!(^_^;) それが応仁の乱ですよねぇ。戦国時代の始まりとも言われた この合戦。先ずは 此方からご紹介します。 時は1467年(注1)、豊臣秀吉が産まれる70年も前のお話。 銀閣寺を建てた事で有名な室町幕府8代将軍 足利義政(あしかが よしまさ)は政治に興味を無くし お茶や和歌などに没頭したくなり 将軍職を譲りたいと思い始めます。しかし 後継者となる子供がおらず 出家している弟の義視(よしみ)に譲ろうとします。後見役(注2)は細川勝元。 その内 足利義政と妻 日野富子(ひの とみこ)との間に子供ができてしまいます。名前は義尚(よしひさ)。 義政が義視に将軍職を譲る約束をしているにも関わらず、富子は息子の義尚を推挙します。後見役は山名宗全(やまな そうぜん)。 家督争いや後継者争い,利権争いの取り巻きどもが 細川と山名、幕府の二大勢力のチカラを利用しようと結集し争い始めました(注3)。総勢20〜30万人が京の都で大乱戦!放火はするわ!神社仏閣はボロボロにするわ!京の都の大半が焼け野原になってしまいます。また 京都での戦いに集中できない様に混乱作戦として敵方の本領(故郷)を攻撃したりしました。北は東北〜南は北九州まで戦(いくさ)が広がります。戦国時代の始まりです!(>_<) |
利権の移行からか? 義視側に居た武将が→義尚側へ、義尚側に居た武将が→義視側へ移るなど 何が何やら?訳ワカメ〜??? 最終的に足利義政が「子供の義尚に譲るよ!」と隠居してしまい、戦っていた人達も『今まで何をしていたのやら?』と戦意喪失。次第に撤収・解体してしまい 終結しました。約11年もの間、戦ったとさ。 m(_ _)m |
(注1):1467年、利権争いの戦で都は焼け野原、『人の世は虚しい』で覚えましょう! (注2)後見役(こうけんやく):対象の人物が幼少など、自分自身で決断・行動が出来ない状態にいる場合、後ろ盾になり 補助する役目の事。 (注3): 【東軍】 足利義視、細川勝元、畠山持富、畠山政長、斯波義敏 【西軍】 足利義尚、日野富子、山名宗全、畠山持国、畠山義就、斯波義廉 写真出典:『ビジュアルワイド図解 日本史』 、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』 西東社 |
歴史探訪 |
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