武将:井伊直虎(いいなおとら) |
平成29年のNHK大河ドラマは『おんな城主 直虎』です。 そこで、直虎の事を知っておきましょう!(ネタバレが嫌な方は読まない方が良いかな?) 戦国時代、今川義元の家臣である遠江国 井伊谷(とおとうみのくに いいのや:現 静岡県浜松市)の 井伊家22代当主 井伊直盛(なおもり)の一人娘として産まれます。幼名は『おとわ』(注1)。 直盛に男児が出来ない事で 直盛の従兄弟(いとこ)である亀之丞(かめのじょう)を婿養子にする事を決めます。 この事を井伊家の家臣ではあるが 今川寄りの小野政直は『謀反(むほん)の疑いあり!』と義元へ讒言(ざんげん: 注2)します。 亀之丞の父とその弟は自害に追いやられ、命の危険を感じた亀之丞は信州へ逃亡します。 許婚(いいなづけ: 注3)が居なくなった おとわは出家し『次郎法師』の名を貰います。(注4) こんなところに『次郎法師』が出てきましてねぇ! 実は次郎法師=井伊直虎だったんですねぇ。 |
それから約10年の月日が流れ、 亀之丞は信州で作った嫁子を置いて戻ってきました。そして 井伊家を継ぐべく 次郎法師の父の養子となり、井伊直親(いいなおちか)と名乗ります。 次郎法師の父 直盛は桶狭間の戦いで織田軍に討ち取られてしまいます。当主が亡くなった事により 直親が23代当主となります。直親は井伊家の親戚筋の娘と結婚し 男児を儲けます。名は『虎松』。 直親は 父を死に追いやった小野政直の子 小野政次(道好:みちよし)に陥し入れられ 殺されます。 虎松も命を狙われますが お寺に匿われたりし命を長らえます。 また、相次ぐ合戦で井伊家の男性たちは悉く(ことごとく)死んでしまい、後を継ぐ者が居なくなりました。 そこで、次郎法師が還俗(げんぞく:注5)し 幼い虎松の後見役となり『井伊次郎直虎』と名乗ります。この頃、周りからは『女地頭』(おんなじとう: 注6)と呼ばれるようになります。 井伊家を牛耳る小野政次。井伊谷城まで奪ってしまいます。横暴な振る舞いに対し、井伊谷三人衆は今川氏真(うじざね)から徳川家康に寝返り、家康のチカラを借り 小野政次を討伐します。 |
やがて虎松は 直虎が仕立てた衣装や旗指物(はたさしもの)を身に纏い 徳川家康に仕えます。彼が後の井伊直政。徳川四天王と呼ばれる人物となります。 井伊家の当主を立派に育て上げた 直虎。晩年は菩提寺で母と暮らしたそうです。 m(_ _)m |
(注1) この時代の女性の情報が記された文書(もんじょ)等は 殆ど無く、直虎の出生時期や幼名も不明な所が多いそうです。 (注2) 讒言(ざんげん): 人を陥れる為に、ある事, ない事を上に告げ口する事。井伊家の家臣なのに今川寄りって妙な話ですよねぇ。もしかすると、井伊家を見張る今川の間者(かんじゃ:スパイ)として 井伊家に入り込んで居たのかも知れません。 (注3) 許婚(許嫁:いいなづけ): まだ子供達が小さい内に 両家の親等が子供達の結婚の約束をする事。または、お互いの結婚相手の事も『許婚』と言う。今回、亀之丞は許婚の事を聞かされてたかどうかは分かりませんが、おとわ(次郎法師)にとっては 許婚が居なくなり→帰ってきたら 嫁子が居て→親戚の娘と出来てしまう。次郎ショーック!(>_<)だったことでしょう。 (注4) 尼僧(にそう:尼さん)に成ると 還俗(げんぞく:注5) 出来ないそうで、おとわの両親の願いで 尼僧では無い名前を付けて貰ったそうです。出家した当時の おとわの年齢から自発的に出家していないのでは?とか, 両親が、還俗させて 跡を継がせようと思っていたのか?なども不明な事が多い様です。 (注5) 還俗(げんぞく): お坊さんから一般人に戻る事。 (注6)女地頭(おんなじとう):鎌倉時代辺りに設けられた 荘園などを管理支配する為の役職(=地頭)とは異なり、戦国時代では 概ね その土地を治める領主の事を指します。 |
歴史探訪 |
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